101年目の供養祭
- 2019.02.18 Monday
- 22:21
1918年(大正7年)2月18日
琴浦町沖で韓国の貨物船『南昌丸』が難破しました
この時、地域の住民が救助にあたりました
救助された乗組員は手厚い看護を受けて無事に本国へ帰りましたが
この事故で亡くなった李歳元さん(当時27歳)は
遭難場所近くに埋蔵されました
ちょうど鳴り石の浜の西側にあります
この供養塔を建てて守って来られたのは
あの岩田弘さんです
今日は事故から101年目の供養祭が行われました
たくさんの参列者の中には
なんと、駐神戸大韓民国総領事館の
総領事もおられました
昨年に続き2年連続の参加です
日韓両国間には最近
徴用工訴訟問題や自衛隊哨戒機へのリーダー照射問題など
ギクシャクした空気が流れていますが
民間レベルではこのような美談が受け継がれ
今でも毎年慰霊祭が行われているなんて
本当に素晴らしいことだと思います
赤碕沖には江戸時代にも韓国商船が漂着してますし、
1963年にも漁船が機関故障で漂着しています
鳴り石の浜にもたくさんの韓国からの漂着物があります
海で繋がった隣国、大韓民国
もっと友好的な関係になれたらいいですね
今日の日本海新聞
左奥の後ろ向いてるのが私です(^^)
琴浦町沖で韓国の貨物船『南昌丸』が難破しました
この時、地域の住民が救助にあたりました
救助された乗組員は手厚い看護を受けて無事に本国へ帰りましたが
この事故で亡くなった李歳元さん(当時27歳)は
遭難場所近くに埋蔵されました
ちょうど鳴り石の浜の西側にあります
この供養塔を建てて守って来られたのは
あの岩田弘さんです
今日は事故から101年目の供養祭が行われました
たくさんの参列者の中には
なんと、駐神戸大韓民国総領事館の
総領事もおられました
昨年に続き2年連続の参加です
日韓両国間には最近
徴用工訴訟問題や自衛隊哨戒機へのリーダー照射問題など
ギクシャクした空気が流れていますが
民間レベルではこのような美談が受け継がれ
今でも毎年慰霊祭が行われているなんて
本当に素晴らしいことだと思います
赤碕沖には江戸時代にも韓国商船が漂着してますし、
1963年にも漁船が機関故障で漂着しています
鳴り石の浜にもたくさんの韓国からの漂着物があります
海で繋がった隣国、大韓民国
もっと友好的な関係になれたらいいですね
今日の日本海新聞
左奥の後ろ向いてるのが私です(^^)
岩田さんは、鳴り石の浜を守るだけではなく、101年前に亡くなった韓国人のお墓もずっと守ってきたなんて、本当にすごいと思います(^-^)
やっと育ち始めた芋をイノシシが掘り返し畑は無残な荒れ地と化す。
時々畑の網に引っ掛かった鹿が身動き取れず死ぬ。
腹が立つどうにもならない害獣です。
役所に言えば死体を処理してくれる。
放置して風化するのを待つ人もいる。
でも私はそこに穴を掘って埋葬する。
埋めた鹿の顔はほとんど覚えている。
母も鹿の墓に花を供えることがある。
日本海側には大陸との関りが大古からありますからね。
しかし「墓を掘らせろ!」「誰が埋まっているんだ?」
古墳ほどになるとそんなことを言われる。
墓を移動させた後は本来の埋葬地には参ってはならないという意見も根強くある。
遭難者を丁重に手当てし対処したことは広く紹介したいものです。
この件 故「中村翁」が調査されたような?
森野啄木さん、深いですね。生き物の魂は息絶えたその場所にありですね。
へなちょこさん、コメントありがとうございます。過去三件の遭難救助の話があるからこそ、道の駅に日韓友好公園が作られているそうですね