天皇陛下とはるかのひまわり

  • 2019.01.16 Wednesday
  • 21:37
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 鎮魂と復興のヒマワリが再び、被災者の心を温かい光で包んだ。

16日に皇居で開かれた「歌会始の儀」で、天皇陛下は

阪神・淡路大震災からの復興の象徴「はるかのひまわり」への思いを詠まれた。

14年前、1人の少女が意を決して皇后さまに手渡したヒマワリの種。

両陛下は御所の庭にまき、花から種を取って毎年育てられたという。

退位を控え、最後の出席となる見通しの歌会始で被災者に心を寄せられた。

 「贈られしひまはりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に」

 神戸市灘区の小西眞希子さん(59)は、陛下の歌に胸が熱くなった。

 「種を手渡してから14年もたつのに、歌に詠んでくださるなんて」

 あの日、自宅で眠っていた長女の希ちゃん=当時(5)=を、倒れたピアノと崩れた家のはりが直撃した。

病院に運ばれたが、意識を取り戻すことはなかった。

 眞希子さんは2005年1月17日、神戸であった震災10年の追悼式典に出席された両陛下と、遺族を代表して懇談した。

被災状況を説明すると、「おつらかったですね」と言葉を掛けられたという。

 その時、当時小学5年生だった次女理菜さん(25)がヒマワリの種を差し出した。

震災で亡くなった神戸市東灘区の加藤はるかさん=当時(11)=の自宅跡に咲いたヒマワリの“子孫”。

予定外の出来事だったが、皇后さまは「ありがとう。大切に育てますね」と受け取り、そばにいた天皇陛下に「いただいたんですよ」と種を見せられた。

 同年夏、宮内庁の侍従から自宅に電話があった。「ヒマワリが咲いております」。

理菜さんに伝えるよう両陛下が望まれたと聞き、驚いた。

眞希子さんは「数多く接した被災者の一人なのに、気配りと心遣いが本当にうれしかった」と振り返る。

 「笑み交はしやがて涙のわきいづる復興なりし街を行きつつ」。

皇后さまも翌06年の歌会始で、被災地への深い心情を詠まれた。

神戸・三宮の東遊園地には歌碑が建立され、被災者を勇気づけている。

 眞希子さんは「震災を忘れられるのは被災者にはつらいこと。

でも両陛下が心から思ってくださることが伝わりました」と目を細めた。(金 旻革)
【はるかのひまわり】阪神・淡路大震災から半年後、神戸市東灘区で亡くなった小学6年加藤はるかさんの自宅跡でヒマワリが咲いているのを見つけた地域の住民らが、各地で種をまく活動を始めた。歌や絵本などを通じて広く知られ、復興の象徴として新潟県中越地震や東日本大震災など国内外の被災地にも贈られた。








鳴り石の浜プロジェクトがはるかのひまわりを育てて6年

天皇陛下も育てておられたのですね

歌会始の儀で天皇陛下が歌にして詠んでいただけるなんて

関係者は感動ものです

このプロジェクトに関われて本当に良かったです







はるかのひまわり絆プロジェクトを管理しておられる

松島 俊哉さんからメッセージをいただきました

ありがとうございます。 本当に 泣きそうです。

今は亡き 藤野芳雄さん(この活動の創始者)にお見せしたいと強く思いました

これからも宜しくおねがいします!

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